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宮代NOWの雑記帳

埼玉県宮代町の住人が吐露する日々思うことや出来事
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皆で祝おうよ 

2月23日、宮代町では一つのセレモニーが行われていた。
東武動物公園駅西口広場が完成し、オーペンの式典が行われていたのである。
式典は3500平方メートルの広場の中央付近で行われた。

出席したのは、町長を始め議員、工事関係者ら約50名ほど。

お祝いに駆けつけた一般町民約30名は柵の外からの見物。

町長や関係者の挨拶もお尻を見ながら、ほとんど聞き取れない。
10時から始まった式典。
町民代表の議員らが完成を見届ける約1時間、町民は「ボーット」その情景を眺めるだけ。

これだけ、町民を蚊帳の外に置いて一歩たりとも新しい場所に入れさせないのだから、何らか企画があるに違いない。
そんな、思いを、頭の片隅に想像しながら・・・・。式典をボーット見る。

式は、挨拶の後、テープカットが行われ、議員各位への施設の説明。

バブル時代を知っている年寄りの一般町民の中には「花火が上がったり」「子どもたちがやってきて風船を放つのでは」などの声もあったが、今はそんな時代でないことは百も承知だし、その気配はさらさらない。

結局、式典はここで終わり。

では、いよいよ一般市民代表によるセレモニーがあってオープンするのかと思いきや、11時の定刻、柵が取り払われて、どうぞ通ってください。

で、終わり。

これだったら、町民を柵の中に入れて、式典に参加させて、施設の説明を受けてもなんらの問題もなかったのでは・・・。

一緒に祝いたいという町民の思いは無にさせられた格好。

議員や関係者の特権意識だけが鮮明に表れた式典だったというのは、言いすぎだろうか。
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無題 

人間は自然の猛威の前には非力いや無力であることをまたも思い知らされた。

大島町の台風災害。町長及び町や関係機関の判断・行動が論議されているが、それらが100%であったとしても、被害をまぬがれることは不可能だったのではないかと思われる自然の猛威であった。

人間、地域住民、全体が最善を尽くしたとしても、自然の前には非力を見せ付けられたのではないだろうか。

だからといって、最初から白旗を揚げて、猛威を少しでもかわす、最善の努力を放棄すべきでないのは当然である。

最善を尽くしてもなお、被災から免れず、自失を経験させられたとしても 、最善を尽くしたのだから・・、という気持ちが・・・・。

その気持ちを救いとして、人間は次のステップに進んでいけるのではないだろうか。



今回の大島町の被災は他人事ではない思いである。

宮代町では、危機管理のあり方について、議会に特別調査委員会を設置して論議した経緯がある。

実際に、災害は発生していなかったため、危機管理の認識度合いによって、あるいは、それぞれの議員の立脚点の違い等もあって、論議は必ずしもかみ合ったとはいえず、特別調査委員会の報告が町政にどのように生かされているか、あるいは、生かされていくかは不明である。

むしろ、町長選挙の政争の具にされた部分も少なくないように感じた。

しかし、今回の大島町の被災を他山の石としないためにも、危機管理体制についての論議と体制作りを深めていただきたいものである。


防災・減災をはじめとした行政として、「自助」「共助」「公助」という考え方があり、宮代町でも、それに基づいた行動が進められている。

「自助」としての、わが身を守るため、家屋の耐震診断を受け、必要に応じての改修・改築を行なったり
「共助」としての、地域を守るための、地域防災組織の整備・組織力強化が進められたりしている。
「公序」については、防災計画の策定や業務継続計画の策定等が進められている。

全体として、宮代町は、防災・減災への取り組みは進んでいるほうだと感じる。


ただ、今回の大島町の被災を見るにつけ、「自助」「共助」「公助」が完璧に出来ていたとしても人間の無力を感じさせるような状況になっていたのではないかとの思いであるし、もし、「自助」「共助」「公助」の一部にほころびがあるようならそこを基点として人間を蹂躙していく、そんな思いである。

ところで、防災対応、危機管理の要は「情報」である。

防災計画においても、まず、一時も早く情報収集を行い、その対応策を的確におこなっていくことが肝要とされている。

情報が無ければ、判断が狂いやすいし、対応が遅れる危険性が高い。


情報を住民に知らせる手段として「防災行政無線」があるが、台風等の場合、窓等を閉めた部屋では聞き取りづらく、十分に伝わらないとして、電話やネット利用した情報提供を行なう自治体が多くなっている。

ただ、今のところは、どの情報を・誰が・どのようにして・誰の判断で・いつ出すのかという部分での難しさがあるようで、十分に生かしきっていないように思う。

こうしたなかで、宮代町の隣町・春日部市の情報提供のあり方はすばらしい。

過去の事故の反省をふまえての対応と見られるが、冠水情報等も逐一ネット等で提供している。また、警戒態勢に入った段階で、その本部設置を明らかにし、住民への警戒を呼びかける効果ともなっている。

宮代町の住人である私も、この春日部市の動きを、警戒を強めたほうがいいかどうかの判断材料の一つとさせてもらっている。春日部市に感謝である。

宮代町にも防災ツイッターがあるようだが、今のところ十分に機能していないように感じる。
 

何を書こうとしているのか、支離滅裂である。
行方不明者の安否、台風27号の進路と思うたびに、書いた文をディレイトし、新たな文を書き足す。

これでは、文にならない。

臭いものに蓋 

加齢臭がひどくなると、これに蓋ができないものかと考えてしまう。

でも、部屋に閉じこもっているわけにもいかないので、他の人には迷惑だろうが出かけていかざるを得ない。

ことほど左様に人間というもの、「臭いものには蓋」をしたがる。

その蓋を開けようとするものがいると「余計なことをしやがって」と白い目で見られることになる。

だが、臭いものに蓋をすると、表向きはなんでもないように見えるが、中は確実に腐る。

蓋をとってかき混ぜると、発酵することにより新たな機能をもったものが生まれたり、有用なものに変化することが多い。

臭いものを明らかにしてかき混ぜることは一時的には臭気などで混乱するが、前向きな処理である。

これは、危機管理に通じる。

危機(臭いもの)が発生したとき、蓋をすることに汲々とするか、すぐに明らかにしてかき混ぜ発酵に持っていくかでは、結果は大きく違ってくる。

マスコミしか情報入手手段のなかった過去ならいざ知らず、ネットなど情報過多時代の現在においては、蓋をしとおすことは極めて困難である。ネット情報は玉石混交、いや石が多すぎるとのマスコミからの情報操作もさかんではあるが・・・。

むしろ、蓋をしたことで内部の腐敗が進み、ネット情報などでツボが壊された時の、内外の状況の落差の大きで腐敗臭が現実以上に拡大されてしまう危険が高まっている。

企業等、特に大衆を顧客とする企業等では逸早くその状況に気づき、不良品の発生や社内コンプライアンスなどの危機管理への対応を整備し、蓋をすることなく迅速で的確な解決行動に力を注ぎ、危機をチャンスに変えていく向きもある。

しかし、公共性の高いところほど、臭いものに蓋の考え方は強く、その代表が東京電力ではなかろうか。

マスコミと密接な(もちつもたれつ)関係をもつ、官僚や政治の世界も同じような考え方が深く根付いているように感じられる。

我が宮代町は、臭いものに蓋の少ない町であると思っていたが・・・・。

どうも最近、解決したいのだが予算がなく、もろもろとの関係で解決を先延ばしにせざるを得ない。ついては、その間、蓋をしておいて・・・ということを耳にした。

予算とはいうが、要は、その問題に対するトップの重要度認識の問題であり、それを早急に解決する意思を持つかということ。つまりは、危機管理においてトップがその地位と権限の全責任において明確な決断を下す覚悟をしたかということではないだろうか。

それをやらないで、時間を稼ぎ、あわよくば・・・ということが、蓋につながっているように思う。

危機管理において、決断をくださず、蓋をすることほど、部下を腐らせることはない。そして、その腐れは周りに広がっていく。

訓練はセレモニーか?! 

9月1日の防災の日を前に、宮代町の隣町・白岡市では「九都県市合同防災訓練」が行なわれた。大地震などの場合、県市を越えた応援関係が重要ということから、隣接した都県市(政令市)など広域的な協力・連携強化訓練を行なうものである。

埼玉県では、今年、この訓練のメイン会場を白岡市としたもので、「白岡市直下を震源とするM6.9の地震が発生し、白岡市内で震度6強の揺れを観測した。県中央部・東部を中心に甚大な被害が発生している」という被害想定。

主催は埼玉県と白岡市。後援に埼玉県東部消防組合消防局、久喜市、宮代町、杉戸町。

会場は、白岡市立南中学校・白岡市総合運動公園のほか、宮代町にある日本工業大学宮代キャンパス。

日本工業大学ではこれに合わせて、学生たちや教職員を対象とした訓練・講習を予定。同大学を避難場所とする近隣地域では、同時に、訓練を行なおうと有志を募って、訓練に参加した。

宮代町では自主防災組織などを中心に、防災訓練を各地で行なっており、自助・共助の考え方は強い。

当日、100名を超える地域住民と300名を超える学生・教職員、防災関係機関、業者、消防など総勢500名を超える参加者が訓練を行なった。

訓練関係者は、「予想を上回る参加者、炊き出しが対応できないかも。一人ひとりの量を若干少なくして対応を・・・」と冗談交じりにつぶやくほど。

こうして始まった、学生と地域住民の合同訓練という、たぶん宮代町としては初めての訓練だったのだが・・・。

上田・埼玉県知事が視察に訪れたのに、出迎えたのは日本工業大学関係者のみ。宮代町からは町長以下、副町長、及び直轄の町民生活課長の姿も無い。議会関係者の顔を捜したが見つからなかった(見落としていたらお詫びいたします)。

地域で、防災訓練が行なわれているのに・・・・。

聞くと、メイン会場(白岡市)の方に町長も課長も出かけたというのである。

メイン会場でどのような実務的な事柄があったのかはわからないが、現場は日本工業大学であり、多くの町民(在住・在勤・在学者)はここで訓練に当たっているのである。

訓練はセレモニー、いやそれ以下なのだろうかと、強い疑問を持ったできごとであった。

ホタルの光 

この時期になるといつも憂鬱になる。そして悲しくなる。

各地で「ホタル鑑賞の夕べ」みたいなものが開かれる。

何人の人が訪れたとか「自然のすばらしさを感じた」とか、新聞記事やマスコミが取り上げることが多くなる。

そして子供たちは口々に「綺麗だった」とかたり、大人たちは「自然はすばらしい」と。そして主催者は多くの人が訪れたとほくそ笑む。

ところで、ホタルは何故光る。

恋をし、子孫を出来るだけ多く残すためであろう。

人間たちの鑑賞に供するために光っているわけでは決してない。

そして、その光るという行為は、自然が豊かだからとか、環境がすばらしいからだとかは全く関係ない。

養殖したホタルを放せば、付近に毒ガスがあるなど環境が極端に悪くない限り、人間が鑑賞に訪れることが出来るようなら、よほどのことがない限りホタルは光る。

ホタル=すばらしい自然環境というマスコミの報道及び人々の思い込みは間違いである。

要は、自生したホタルか養殖したホタルを放したのかでは大きな違いがある。

都心に近い多くのホタル鑑賞では、養殖ホタルの比率がかなり高いと思われる。

つまり、それらは、見世物であって、自然とは全く関係ない。

田圃や水路の脇でホタルが飛ぶと、そこで自生し復活したかのように見えるが、それはトリックに過ぎない。

こうしたホタル鑑賞の夕べを、金儲けや教育を目的として業者や専門家が囲われた閉鎖的な空間で行なうことには、私は全く反対しない。むしろ、ホタルが光ることを知らない子どもたちから、昆虫学的興味を引き出すためにはむしろ積極的に行なうべきであるとも思う(無論、周囲に拡散し生態系を破壊することがないような一定のルールの中でではあるが)。

ところが、マスコミや幻想を抱く人、あるいは観光客を呼び込みたい人たちは、「自然の中の幽玄の世界」にこだわるため、養殖ホタルを平気で自然の中に放し、あたかも自生し、復活したかのような表現をしたがる。

ホタル鑑賞の夕べのために、何千、あるいは何万という養殖ホタルが放たれる。
前年のホタルが何匹生き延び、自生の芽が出てきたのかなど、基礎的な調査はほとんど行なわれないまま前年以上の客集めのため、大量のホタルを放つことに力を注ぐ。

ホタルは、恋をし、子孫を残すために光るのである。

つまり、子孫を残せる環境でないところに放されても、全く、無駄なのである。

むしろ、この環境に放たれたために、子孫を残せないまま死んで行くことになるのである。

人間のエゴのために養殖され、そして、放たれて死んでいく。子孫は、養殖でしか残っていかない。

「綺麗」「自然はすばらしい」と、光るホタルを見て人間が喜んだ場所は、ホタルの墓場でしかないことになる。思いを遂げられない墓場でのホタルの怨念の光に人々は酔いしれるのである。

こうした「ホタル鑑賞の夕べ」を自然保護団体がやっているところもある。

「この地に、ホタルの復活を」との御題目で観光資源に飢えた自治体を巻き込んで行なうこともあるようだが、「ホタルが復活した」との話はあまり聞かない。

十年以上同じようなことを行なっていて、未だに「養殖ホタル」を放しての「ホタル鑑賞の夕べ」なのいである。

自然保護団体だったら、研究し、勉強し、調査し、自然環境の改善を進めるという地道な活動が「ホタル復活」の近道、あるいは「復活は難しい」との結論に至るのだろうが、未だに、ホタルの墓場にホタルを放し、命を無駄にしているのである。

この季節になると、いつも憂鬱になる。そして悲しくなる。
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