宮代NOWの雑記帳
埼玉県宮代町の住人が吐露する日々思うことや出来事
希少ということ
「絶滅のおそれのある動植物のリスト」のことをレッドデータブックという。
表紙が赤いことからその名前があるらしい。
「絶滅のおそれ」とは、希少だということである。
希少であることは価値を生む。
見た目はどんなに受けいれられなかろうと毛嫌いされようと、希少というだけで話題となり、とりあげられる。
普通だったら、あまり見向きもされないような動植物が「希少」というだけで、レッドデータブックという本に取り上げられ、有名になる。
希少は価値を生み、その価値を十分に利用して、金儲けをするやからもいる。
いや、自然保護団体のことを言っているのではない。
昔は、何処にでもいたホタル。しかし、希少となった現在、それが観光資源になる。ホタル鑑賞会を開いたら、何人が来たと喧伝できる。
放射能とホタルの生命力がどう関係するのかは分からないが、福島のホタルがニュースにもなる。
それほど「希少」という言葉は使い道が多く、希少に弱いマスコミには受ける。
さて、本題に移ろう。
その「希少」という価値を捨て去って、普通が良いというなんとももったいないことを言う人がいる。
「町と町を合併して市になりたい」というのである。
日本全国、「市」はごまんとあるが、「町」はいまや絶滅危惧、「希少」そのものである。
その「町」を捨て去ろうというのである。
その理由は、「町なんてダサくて・・・」という。
「希少」は価値を生むというのに、その価値も分からず、「ダサくて・・・」とは。
「希少」を売り出すアイデア・頭を持たないだけである。その頭からはたとえ「市」になったとしてもたいした施策は出てこないだろう。
だって、「希少」という天から授かった、求めようとしても求められない価値を生かせないのだから。
例えば、埼玉県に南埼玉郡宮代町という「町」がある。
東武線沿線で、もっとも東京に近い「町」の駅がある「町」である。
この希少さは「宮代町」しか持ち合わせていない。この「希少」を利用すればいろいろな売り出し方が出来るだろう。
さらに、宮代町は近く「唯一の南埼玉郡」となる。由緒ある南埼玉郡を引き継ぐ唯一の町となる。この希少さを利用しない手はないだろう。
宮代町郷土資料館に南埼玉郡コーナーを設置し、将来的には、県の施設に格上げし、南埼玉地域の歴史・文化資料の拠点として、ふれ愛センターを含めた西原の森全体を、小中学校児童・生徒を対象とした、「南埼玉」の歴史・文化・自然体験施設として整備し、「南埼玉」の名と歴史を確かに守る。
場合によっては、宮代町を南埼玉町と改称しても良い(これには少々お金がかかるので・・・・、「南埼玉郡の町、通称、南埼玉町」とすれば)。
ともかく、「希少」は価値を生む。
少なくともその価値を十分に使い切る発想を持とうよ。
何処にでもある「市」より、希少な「町」の方が潜在的メリットは大きいと思うのだが・・・・・。特に首都圏に於いては・・・・。
表紙が赤いことからその名前があるらしい。
「絶滅のおそれ」とは、希少だということである。
希少であることは価値を生む。
見た目はどんなに受けいれられなかろうと毛嫌いされようと、希少というだけで話題となり、とりあげられる。
普通だったら、あまり見向きもされないような動植物が「希少」というだけで、レッドデータブックという本に取り上げられ、有名になる。
希少は価値を生み、その価値を十分に利用して、金儲けをするやからもいる。
いや、自然保護団体のことを言っているのではない。
昔は、何処にでもいたホタル。しかし、希少となった現在、それが観光資源になる。ホタル鑑賞会を開いたら、何人が来たと喧伝できる。
放射能とホタルの生命力がどう関係するのかは分からないが、福島のホタルがニュースにもなる。
それほど「希少」という言葉は使い道が多く、希少に弱いマスコミには受ける。
さて、本題に移ろう。
その「希少」という価値を捨て去って、普通が良いというなんとももったいないことを言う人がいる。
「町と町を合併して市になりたい」というのである。
日本全国、「市」はごまんとあるが、「町」はいまや絶滅危惧、「希少」そのものである。
その「町」を捨て去ろうというのである。
その理由は、「町なんてダサくて・・・」という。
「希少」は価値を生むというのに、その価値も分からず、「ダサくて・・・」とは。
「希少」を売り出すアイデア・頭を持たないだけである。その頭からはたとえ「市」になったとしてもたいした施策は出てこないだろう。
だって、「希少」という天から授かった、求めようとしても求められない価値を生かせないのだから。
例えば、埼玉県に南埼玉郡宮代町という「町」がある。
東武線沿線で、もっとも東京に近い「町」の駅がある「町」である。
この希少さは「宮代町」しか持ち合わせていない。この「希少」を利用すればいろいろな売り出し方が出来るだろう。
さらに、宮代町は近く「唯一の南埼玉郡」となる。由緒ある南埼玉郡を引き継ぐ唯一の町となる。この希少さを利用しない手はないだろう。
宮代町郷土資料館に南埼玉郡コーナーを設置し、将来的には、県の施設に格上げし、南埼玉地域の歴史・文化資料の拠点として、ふれ愛センターを含めた西原の森全体を、小中学校児童・生徒を対象とした、「南埼玉」の歴史・文化・自然体験施設として整備し、「南埼玉」の名と歴史を確かに守る。
場合によっては、宮代町を南埼玉町と改称しても良い(これには少々お金がかかるので・・・・、「南埼玉郡の町、通称、南埼玉町」とすれば)。
ともかく、「希少」は価値を生む。
少なくともその価値を十分に使い切る発想を持とうよ。
何処にでもある「市」より、希少な「町」の方が潜在的メリットは大きいと思うのだが・・・・・。特に首都圏に於いては・・・・。
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宮代町議会24年6月定例会を傍聴して
12日、2012年宮代町議会6月定例会が閉会した。
6月定例会は、3月の予算、9月の決算の谷間にはさまれて、これといって目立った議案がないのが通例である。
それだけに、ある意味ではじっくりと論戦を戦わせることが出来る議会とも言える。
ところが、今回は、一部住民から「合併についての住民意識調査を求める」請願が出され、それに目が向けられた格好になった。
一部住民は「このままでは、宮代町は沈滞するだけである。究極の財政改革である合併を」というわけである。
その合併を具体化するために「住民意識調査」をという。
近隣市町に全くその気配が見えない中での、この請願。子供が「このおもちゃ買ってくれなきゃ・・・」とダダをこねて大声を上げているようなもので、親も回りも冷ややかに見ている感じ。
でも、中には、「ほら坊や、これならどう」と親切な人が声をかけてくれるかも知れないし、親がいたたまれなくなってむりやり取繕うとしてくれるかもしれない。
その程度のことを期待しての行動ではとも思われるほど、読みも準備もない請願。
むろん、請願は不採択となったが、なんとも・・・・。このために、1時間以上も議場に町の執行部は足止めされ、中にはうんざりの表情の人も・・・。
その時間「宮代町をどうやっていくか考え、行動させたほうがよほど宮代町のためになる」。
議員は、執行部に仕事の合理性を求めるが、傍聴席から見ると、議会の合理的な運営こそがまずやらなければならないことと思われても来る。
閑話休題
議会に求められる合理的な運営の第一は、一般質問。
新聞ねたや事件等から質問を行うこと等もあるため、質問がダブルことが良くある。これは、いたし方ないことだが、ダブったときの対処の仕方を検討していただきたい。
同じ質問だから執行側は、全く同じ答弁を読み上げる。この時間の無駄。議員にしてみれば、この質問は私が取り上げた問題だからといいたいのだろうが、同じことを聞かされる傍聴席にとっては、まさに時間の無駄、それが、3回4回となると拷問に近くなる。
関連質問で、突っ込んだ論議が展開されるかと思いきや、質問内容も大同小異。これには、拷問を通り越して暴動を起こしたくなるほど。
テーマがダブったらその問題について集中審議したら良い。そうすれば、答弁は1回で良いから時間もゆっくり取れるし、ろんぎの深まりも期待できる。勉強していない議員は集中審議に参加できなくなる。おまけに、その間、関係ない担当課長は議場を離れることも出来る。
議会改革で、まず、無駄を省いて欲しいと痛切に思った今議会であった。
そんなあくびの多くなる今議会で、某議員がテーマを「定住人口増対策」に絞って、集中的に質問していたのが注目された。
宮代町をはじめ、各自治体とも、少子高齢化の中で、人口をいかに増やし、税収をアップさせていくかがポイントとなっている。
特に、高度成長期、団塊世代が核家族の動きの中で、郊外へと定住地を求めてさまよい、人口が膨らんだ、ベッドタウンにとっては、人口の動向は自治体の死活問題に直結する。
宮代町でも、その例に漏れず、定住人口増の施策を模索している。
それをポイントに論戦・・・・。
狙いとしては、当然であるし、傍聴席の私も興味深く、傍聴・・・・。
だが、・・・・。
こうした問題は、思いは同でもいいのであって、データに基ずく分析と、そこから出てくる問題解決への独自のアイデアと施策が重要だと思うのだが・・・。
「宮代町は3つの駅があり」という使い古されたフレーズ。そのことが、どのような効果としてデータとして表わているのかの分析もないまま使われる。
もっと言えば、宮代町は「ベッドタウンとしての賞味期限が切れていないか」「農あるまちづくりは住宅地としてプラスに働くのか」「少子高齢化の中で宮代町が若者を他所に比べて多く定住してもらえるキーは何か」データの分析の中から探る必要があると思うのだが、それもなく、ただ「宮代町を知ってもらうこと。農あるまちで人を呼んで、交流人口増を定住人口増に」と文学的表現での論議に終始したのは残念でならない。ついでに交流人口から定住人口へを意図した「婚活から2年。そろそろ中間総括」することも必要なのでは・・・。
これを第一弾として、次回、データに基づいた(データがなければ作らせて)論戦を期待したいと思った。
6月定例会は、3月の予算、9月の決算の谷間にはさまれて、これといって目立った議案がないのが通例である。
それだけに、ある意味ではじっくりと論戦を戦わせることが出来る議会とも言える。
ところが、今回は、一部住民から「合併についての住民意識調査を求める」請願が出され、それに目が向けられた格好になった。
一部住民は「このままでは、宮代町は沈滞するだけである。究極の財政改革である合併を」というわけである。
その合併を具体化するために「住民意識調査」をという。
近隣市町に全くその気配が見えない中での、この請願。子供が「このおもちゃ買ってくれなきゃ・・・」とダダをこねて大声を上げているようなもので、親も回りも冷ややかに見ている感じ。
でも、中には、「ほら坊や、これならどう」と親切な人が声をかけてくれるかも知れないし、親がいたたまれなくなってむりやり取繕うとしてくれるかもしれない。
その程度のことを期待しての行動ではとも思われるほど、読みも準備もない請願。
むろん、請願は不採択となったが、なんとも・・・・。このために、1時間以上も議場に町の執行部は足止めされ、中にはうんざりの表情の人も・・・。
その時間「宮代町をどうやっていくか考え、行動させたほうがよほど宮代町のためになる」。
議員は、執行部に仕事の合理性を求めるが、傍聴席から見ると、議会の合理的な運営こそがまずやらなければならないことと思われても来る。
閑話休題
議会に求められる合理的な運営の第一は、一般質問。
新聞ねたや事件等から質問を行うこと等もあるため、質問がダブルことが良くある。これは、いたし方ないことだが、ダブったときの対処の仕方を検討していただきたい。
同じ質問だから執行側は、全く同じ答弁を読み上げる。この時間の無駄。議員にしてみれば、この質問は私が取り上げた問題だからといいたいのだろうが、同じことを聞かされる傍聴席にとっては、まさに時間の無駄、それが、3回4回となると拷問に近くなる。
関連質問で、突っ込んだ論議が展開されるかと思いきや、質問内容も大同小異。これには、拷問を通り越して暴動を起こしたくなるほど。
テーマがダブったらその問題について集中審議したら良い。そうすれば、答弁は1回で良いから時間もゆっくり取れるし、ろんぎの深まりも期待できる。勉強していない議員は集中審議に参加できなくなる。おまけに、その間、関係ない担当課長は議場を離れることも出来る。
議会改革で、まず、無駄を省いて欲しいと痛切に思った今議会であった。
そんなあくびの多くなる今議会で、某議員がテーマを「定住人口増対策」に絞って、集中的に質問していたのが注目された。
宮代町をはじめ、各自治体とも、少子高齢化の中で、人口をいかに増やし、税収をアップさせていくかがポイントとなっている。
特に、高度成長期、団塊世代が核家族の動きの中で、郊外へと定住地を求めてさまよい、人口が膨らんだ、ベッドタウンにとっては、人口の動向は自治体の死活問題に直結する。
宮代町でも、その例に漏れず、定住人口増の施策を模索している。
それをポイントに論戦・・・・。
狙いとしては、当然であるし、傍聴席の私も興味深く、傍聴・・・・。
だが、・・・・。
こうした問題は、思いは同でもいいのであって、データに基ずく分析と、そこから出てくる問題解決への独自のアイデアと施策が重要だと思うのだが・・・。
「宮代町は3つの駅があり」という使い古されたフレーズ。そのことが、どのような効果としてデータとして表わているのかの分析もないまま使われる。
もっと言えば、宮代町は「ベッドタウンとしての賞味期限が切れていないか」「農あるまちづくりは住宅地としてプラスに働くのか」「少子高齢化の中で宮代町が若者を他所に比べて多く定住してもらえるキーは何か」データの分析の中から探る必要があると思うのだが、それもなく、ただ「宮代町を知ってもらうこと。農あるまちで人を呼んで、交流人口増を定住人口増に」と文学的表現での論議に終始したのは残念でならない。ついでに交流人口から定住人口へを意図した「婚活から2年。そろそろ中間総括」することも必要なのでは・・・。
これを第一弾として、次回、データに基づいた(データがなければ作らせて)論戦を期待したいと思った。