宮代NOWの雑記帳
埼玉県宮代町の住人が吐露する日々思うことや出来事
宮代町議会24年6月定例会を傍聴して
12日、2012年宮代町議会6月定例会が閉会した。
6月定例会は、3月の予算、9月の決算の谷間にはさまれて、これといって目立った議案がないのが通例である。
それだけに、ある意味ではじっくりと論戦を戦わせることが出来る議会とも言える。
ところが、今回は、一部住民から「合併についての住民意識調査を求める」請願が出され、それに目が向けられた格好になった。
一部住民は「このままでは、宮代町は沈滞するだけである。究極の財政改革である合併を」というわけである。
その合併を具体化するために「住民意識調査」をという。
近隣市町に全くその気配が見えない中での、この請願。子供が「このおもちゃ買ってくれなきゃ・・・」とダダをこねて大声を上げているようなもので、親も回りも冷ややかに見ている感じ。
でも、中には、「ほら坊や、これならどう」と親切な人が声をかけてくれるかも知れないし、親がいたたまれなくなってむりやり取繕うとしてくれるかもしれない。
その程度のことを期待しての行動ではとも思われるほど、読みも準備もない請願。
むろん、請願は不採択となったが、なんとも・・・・。このために、1時間以上も議場に町の執行部は足止めされ、中にはうんざりの表情の人も・・・。
その時間「宮代町をどうやっていくか考え、行動させたほうがよほど宮代町のためになる」。
議員は、執行部に仕事の合理性を求めるが、傍聴席から見ると、議会の合理的な運営こそがまずやらなければならないことと思われても来る。
閑話休題
議会に求められる合理的な運営の第一は、一般質問。
新聞ねたや事件等から質問を行うこと等もあるため、質問がダブルことが良くある。これは、いたし方ないことだが、ダブったときの対処の仕方を検討していただきたい。
同じ質問だから執行側は、全く同じ答弁を読み上げる。この時間の無駄。議員にしてみれば、この質問は私が取り上げた問題だからといいたいのだろうが、同じことを聞かされる傍聴席にとっては、まさに時間の無駄、それが、3回4回となると拷問に近くなる。
関連質問で、突っ込んだ論議が展開されるかと思いきや、質問内容も大同小異。これには、拷問を通り越して暴動を起こしたくなるほど。
テーマがダブったらその問題について集中審議したら良い。そうすれば、答弁は1回で良いから時間もゆっくり取れるし、ろんぎの深まりも期待できる。勉強していない議員は集中審議に参加できなくなる。おまけに、その間、関係ない担当課長は議場を離れることも出来る。
議会改革で、まず、無駄を省いて欲しいと痛切に思った今議会であった。
そんなあくびの多くなる今議会で、某議員がテーマを「定住人口増対策」に絞って、集中的に質問していたのが注目された。
宮代町をはじめ、各自治体とも、少子高齢化の中で、人口をいかに増やし、税収をアップさせていくかがポイントとなっている。
特に、高度成長期、団塊世代が核家族の動きの中で、郊外へと定住地を求めてさまよい、人口が膨らんだ、ベッドタウンにとっては、人口の動向は自治体の死活問題に直結する。
宮代町でも、その例に漏れず、定住人口増の施策を模索している。
それをポイントに論戦・・・・。
狙いとしては、当然であるし、傍聴席の私も興味深く、傍聴・・・・。
だが、・・・・。
こうした問題は、思いは同でもいいのであって、データに基ずく分析と、そこから出てくる問題解決への独自のアイデアと施策が重要だと思うのだが・・・。
「宮代町は3つの駅があり」という使い古されたフレーズ。そのことが、どのような効果としてデータとして表わているのかの分析もないまま使われる。
もっと言えば、宮代町は「ベッドタウンとしての賞味期限が切れていないか」「農あるまちづくりは住宅地としてプラスに働くのか」「少子高齢化の中で宮代町が若者を他所に比べて多く定住してもらえるキーは何か」データの分析の中から探る必要があると思うのだが、それもなく、ただ「宮代町を知ってもらうこと。農あるまちで人を呼んで、交流人口増を定住人口増に」と文学的表現での論議に終始したのは残念でならない。ついでに交流人口から定住人口へを意図した「婚活から2年。そろそろ中間総括」することも必要なのでは・・・。
これを第一弾として、次回、データに基づいた(データがなければ作らせて)論戦を期待したいと思った。
6月定例会は、3月の予算、9月の決算の谷間にはさまれて、これといって目立った議案がないのが通例である。
それだけに、ある意味ではじっくりと論戦を戦わせることが出来る議会とも言える。
ところが、今回は、一部住民から「合併についての住民意識調査を求める」請願が出され、それに目が向けられた格好になった。
一部住民は「このままでは、宮代町は沈滞するだけである。究極の財政改革である合併を」というわけである。
その合併を具体化するために「住民意識調査」をという。
近隣市町に全くその気配が見えない中での、この請願。子供が「このおもちゃ買ってくれなきゃ・・・」とダダをこねて大声を上げているようなもので、親も回りも冷ややかに見ている感じ。
でも、中には、「ほら坊や、これならどう」と親切な人が声をかけてくれるかも知れないし、親がいたたまれなくなってむりやり取繕うとしてくれるかもしれない。
その程度のことを期待しての行動ではとも思われるほど、読みも準備もない請願。
むろん、請願は不採択となったが、なんとも・・・・。このために、1時間以上も議場に町の執行部は足止めされ、中にはうんざりの表情の人も・・・。
その時間「宮代町をどうやっていくか考え、行動させたほうがよほど宮代町のためになる」。
議員は、執行部に仕事の合理性を求めるが、傍聴席から見ると、議会の合理的な運営こそがまずやらなければならないことと思われても来る。
閑話休題
議会に求められる合理的な運営の第一は、一般質問。
新聞ねたや事件等から質問を行うこと等もあるため、質問がダブルことが良くある。これは、いたし方ないことだが、ダブったときの対処の仕方を検討していただきたい。
同じ質問だから執行側は、全く同じ答弁を読み上げる。この時間の無駄。議員にしてみれば、この質問は私が取り上げた問題だからといいたいのだろうが、同じことを聞かされる傍聴席にとっては、まさに時間の無駄、それが、3回4回となると拷問に近くなる。
関連質問で、突っ込んだ論議が展開されるかと思いきや、質問内容も大同小異。これには、拷問を通り越して暴動を起こしたくなるほど。
テーマがダブったらその問題について集中審議したら良い。そうすれば、答弁は1回で良いから時間もゆっくり取れるし、ろんぎの深まりも期待できる。勉強していない議員は集中審議に参加できなくなる。おまけに、その間、関係ない担当課長は議場を離れることも出来る。
議会改革で、まず、無駄を省いて欲しいと痛切に思った今議会であった。
そんなあくびの多くなる今議会で、某議員がテーマを「定住人口増対策」に絞って、集中的に質問していたのが注目された。
宮代町をはじめ、各自治体とも、少子高齢化の中で、人口をいかに増やし、税収をアップさせていくかがポイントとなっている。
特に、高度成長期、団塊世代が核家族の動きの中で、郊外へと定住地を求めてさまよい、人口が膨らんだ、ベッドタウンにとっては、人口の動向は自治体の死活問題に直結する。
宮代町でも、その例に漏れず、定住人口増の施策を模索している。
それをポイントに論戦・・・・。
狙いとしては、当然であるし、傍聴席の私も興味深く、傍聴・・・・。
だが、・・・・。
こうした問題は、思いは同でもいいのであって、データに基ずく分析と、そこから出てくる問題解決への独自のアイデアと施策が重要だと思うのだが・・・。
「宮代町は3つの駅があり」という使い古されたフレーズ。そのことが、どのような効果としてデータとして表わているのかの分析もないまま使われる。
もっと言えば、宮代町は「ベッドタウンとしての賞味期限が切れていないか」「農あるまちづくりは住宅地としてプラスに働くのか」「少子高齢化の中で宮代町が若者を他所に比べて多く定住してもらえるキーは何か」データの分析の中から探る必要があると思うのだが、それもなく、ただ「宮代町を知ってもらうこと。農あるまちで人を呼んで、交流人口増を定住人口増に」と文学的表現での論議に終始したのは残念でならない。ついでに交流人口から定住人口へを意図した「婚活から2年。そろそろ中間総括」することも必要なのでは・・・。
これを第一弾として、次回、データに基づいた(データがなければ作らせて)論戦を期待したいと思った。
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