宮代NOWの雑記帳
埼玉県宮代町の住人が吐露する日々思うことや出来事
早くも風化?! 宮代町の3.11
2011年3月11日14 時46分ごろ発生した、日本観測史上最大のマグニチュード 9.0 という三陸沖を震源地とする東日本大震災。
宮代町は埼玉県で最大の震度 6 弱を記録(宮代町の地震計は揺れやすい地盤など近隣市町に比べて高めに出る傾向があるとの指摘も)。被害状況は死傷者、火災ともなく、屋根瓦のずれ・落下・破損等建築物の被害が421件を数えるなど、震度の割には被害は軽微だった。
宮代町役場では、地震発生14分後の15時00分には宮代町災害対策本部設置、1時間後の16時00分には町内の避難者や東武鉄道の終日運行停止への対応として川端公民館、進修館、百間公民館、須賀小学校体育館、和戸公民館の5か所に避難場所を設置。東武鉄道の利用者約 250 人が避難(宮代町広報誌より)、という迅速な対応を見せた。
あれから2年。宮代町では、地震ではない揺れが起きている。
昨年12月14日、金曜日の午後、課長など幹部職員が時間休をとり、鬼怒川方面に向かって、町長など3役も同席して懇親会を開催したというのである。
年末の忙しい時期、さらに衆議院議員選挙も重なったなかでの、幹部職員の多くが週末の午後にいなくなるという異常事態。
東日本大震災の余震、東海沖地震など防災・減災対策の重要性が叫ばれている中で、あまりに危機意識のない幹部職員に町民も呆れ気味。
宮代町議会はこの問題を重く見て、調査特別委員会を設置して、その経緯と問題点・改善策などについて審議を開始した。
事件が発覚したとき、情報を開示し、反省すべきは反省すればそれで収束したと思われる揺れだが、「法に違反したことは行っていない」「休暇・懇親会はプライベートなこと個人情報として明らかにできない」と反発している。
支援議員も「法に触れていないのに、特別委員会を設置するとは」と援護射撃(?)
3.11の時は14分後に「宮代町災害対策本部」を立ち上げた同じメンバーが何故。
閑話休題
宮代町防災計画など関連資料を読んでみた(改訂作業中なので旧版だが・・・)。
それによると災害が発生・発生しそうな時、情報収集及びその対応を決定する「災害対策本部の設置」が進められることとなる。宮代町防災計画によると「災害対策本部の設置」の基準は地震の場合と風水害の場合があるようだが・・・。以下、引用する。
災害対策本部の設置
災害対策本部の設置基準
町長は、次の場合において災対法第23条第1項及び宮代町災害対策本部条例(昭和39年条例第22号)(以下「町本部条例」という。)(注1)に基づき、宮代町災害対策本部(以下「町本部」という。)を設置する。
(1)大規模地震対策特別措置法(以下「大震法」という。)第9条に基づく「警戒宣言」が出されたとき
(2)町内において震度5強以上の地震が発生したとき
(3)町内において地震による大規模な災害が発生し、または発生する恐れのあるとき
町長は、次の場合において災害対策基本法第23条第1項及び宮代町災害対策本部条例に基づき、宮代町災害対策本部を設置する。
1埼玉県下に暴風、大雨、はん濫警戒情報が発令され、かつ災害対策について特別の措置が必要と認められるとき。
2町域において、局地的な被害が発生又は発生するおそれが生じたとき。
3災害対策本部を設置するに至る基準を満たす現象が生じたとき又は生じるおそれのあるとき
4その他特に本部の設置が必要と認められるとき
と、定められている。
ということは、3.11の時は「震度5強以上の地震が発生したとき」であるようだ。
震度5というと大きな揺れだが、東日本大震災の余震や平成17年の中央防災会議で指摘された茨城県南部など、昨今では、あってもおかしくない揺れと心配されている。だから、自主防災組織の設置・拡充が図られ、住民も住宅の耐震化・ブロック塀の撤去などの自助努力を行っている。
そうした、「災害対策本部」を設置しなければならないような状況が想定される中での、幹部職員の不在。
幹部職員によると「管理職と呼べるものは51人いる。課長がいなくても、その他の管理職ですべて補完できる体制になっている」のだそうだ。
ところで、ここに災害対策本部の組織図がある。
災害対策本部の本部長は町長。副町長、教育長、町民生活課長(安心・安全関係を担当)の3氏が副本部長で、本部長に事故があるときは副本部長が本部長を務めることになっている。その他課長が本部員で、副本部長を兼務することになっている。つまり、本部長が事故があるときは、副本部長が、副本部長全員に事故があるときは、本部員(課長)が本部長の代理の代理を務めることになっている。本部には各部から1名以上が詰め、本部員に事故があるときは代理できることになっている。
二重・三重のバックアップ体制だが、それにもかかわらず、今回は、この本部員(3役と課長)のほぼ全員が午後5時過ぎにはいなかったことになる。
3.11のときには、あれだけ活躍した災害対策本部が立ち上がらない、あるいは、立ち上がったとしても代理や代理の代理など代理だらけの、かなりいびつな形の組織とならざるを得なかっただろう。休日や夜間ならまだしも、平日の職務時間中のことである。法の精神としては、3役と課長からなる本部員のほぼ全員が事故があるとは想定していない。たとえ事故があったとしても甚大なものであり、ほぼ町が壊滅状態で、本部設置を周辺や県等に頼らなければならないときと理解できる。だから本部設置の遅れや違反などに対する規定は行われていない。
今回、幸いにして震災など事故は起きなかったが、もし、起こっていたとすれば他市町では災害対策本部を立ち上げ、情報収集・対策、警察・消防など関係機関との連絡業務、支援物資など防災協定団体との連絡、県や自衛隊、などへの支援要請など、住民への積極的な対応が行なわれているのに、宮代町だけは、おいてけぼりーという状況も想定されたわけである。
こうした災害対策本部の立ち上げに齟齬が発生するかもしれないというのに、町長以下三役は「問題はなかったと思っている。課長会から招待されたから参加した」と、まるで他人事。課長も「個人情報」を盾に詳細を明らかにせず、改善を行っていこうとの気配さえも見せない。
防災対策本部の立ち上げに齟齬が起こることも想定されるにもかかわらず、課長の休暇にOKをだしたということは、宮代町はどうなってもいい、町民の命、安心・安全より課長等の個人的事情・楽しみを優先させたということにならないだろうか。「私」が「公」に優先する公務員、奇妙な現象。法に違反している云々以前の問題ではないだろうか。
3.11から2年。あの教訓を活かしてまちづくりを進めるべき時なのに、早くも3.11を風化させてしまったかのような宮代町と言われても仕方がないだろう。
宮代町は埼玉県で最大の震度 6 弱を記録(宮代町の地震計は揺れやすい地盤など近隣市町に比べて高めに出る傾向があるとの指摘も)。被害状況は死傷者、火災ともなく、屋根瓦のずれ・落下・破損等建築物の被害が421件を数えるなど、震度の割には被害は軽微だった。
宮代町役場では、地震発生14分後の15時00分には宮代町災害対策本部設置、1時間後の16時00分には町内の避難者や東武鉄道の終日運行停止への対応として川端公民館、進修館、百間公民館、須賀小学校体育館、和戸公民館の5か所に避難場所を設置。東武鉄道の利用者約 250 人が避難(宮代町広報誌より)、という迅速な対応を見せた。
あれから2年。宮代町では、地震ではない揺れが起きている。
昨年12月14日、金曜日の午後、課長など幹部職員が時間休をとり、鬼怒川方面に向かって、町長など3役も同席して懇親会を開催したというのである。
年末の忙しい時期、さらに衆議院議員選挙も重なったなかでの、幹部職員の多くが週末の午後にいなくなるという異常事態。
東日本大震災の余震、東海沖地震など防災・減災対策の重要性が叫ばれている中で、あまりに危機意識のない幹部職員に町民も呆れ気味。
宮代町議会はこの問題を重く見て、調査特別委員会を設置して、その経緯と問題点・改善策などについて審議を開始した。
事件が発覚したとき、情報を開示し、反省すべきは反省すればそれで収束したと思われる揺れだが、「法に違反したことは行っていない」「休暇・懇親会はプライベートなこと個人情報として明らかにできない」と反発している。
支援議員も「法に触れていないのに、特別委員会を設置するとは」と援護射撃(?)
3.11の時は14分後に「宮代町災害対策本部」を立ち上げた同じメンバーが何故。
閑話休題
宮代町防災計画など関連資料を読んでみた(改訂作業中なので旧版だが・・・)。
それによると災害が発生・発生しそうな時、情報収集及びその対応を決定する「災害対策本部の設置」が進められることとなる。宮代町防災計画によると「災害対策本部の設置」の基準は地震の場合と風水害の場合があるようだが・・・。以下、引用する。
災害対策本部の設置
災害対策本部の設置基準
町長は、次の場合において災対法第23条第1項及び宮代町災害対策本部条例(昭和39年条例第22号)(以下「町本部条例」という。)(注1)に基づき、宮代町災害対策本部(以下「町本部」という。)を設置する。
(1)大規模地震対策特別措置法(以下「大震法」という。)第9条に基づく「警戒宣言」が出されたとき
(2)町内において震度5強以上の地震が発生したとき
(3)町内において地震による大規模な災害が発生し、または発生する恐れのあるとき
町長は、次の場合において災害対策基本法第23条第1項及び宮代町災害対策本部条例に基づき、宮代町災害対策本部を設置する。
1埼玉県下に暴風、大雨、はん濫警戒情報が発令され、かつ災害対策について特別の措置が必要と認められるとき。
2町域において、局地的な被害が発生又は発生するおそれが生じたとき。
3災害対策本部を設置するに至る基準を満たす現象が生じたとき又は生じるおそれのあるとき
4その他特に本部の設置が必要と認められるとき
と、定められている。
ということは、3.11の時は「震度5強以上の地震が発生したとき」であるようだ。
震度5というと大きな揺れだが、東日本大震災の余震や平成17年の中央防災会議で指摘された茨城県南部など、昨今では、あってもおかしくない揺れと心配されている。だから、自主防災組織の設置・拡充が図られ、住民も住宅の耐震化・ブロック塀の撤去などの自助努力を行っている。
そうした、「災害対策本部」を設置しなければならないような状況が想定される中での、幹部職員の不在。
幹部職員によると「管理職と呼べるものは51人いる。課長がいなくても、その他の管理職ですべて補完できる体制になっている」のだそうだ。
ところで、ここに災害対策本部の組織図がある。
災害対策本部の本部長は町長。副町長、教育長、町民生活課長(安心・安全関係を担当)の3氏が副本部長で、本部長に事故があるときは副本部長が本部長を務めることになっている。その他課長が本部員で、副本部長を兼務することになっている。つまり、本部長が事故があるときは、副本部長が、副本部長全員に事故があるときは、本部員(課長)が本部長の代理の代理を務めることになっている。本部には各部から1名以上が詰め、本部員に事故があるときは代理できることになっている。
二重・三重のバックアップ体制だが、それにもかかわらず、今回は、この本部員(3役と課長)のほぼ全員が午後5時過ぎにはいなかったことになる。
3.11のときには、あれだけ活躍した災害対策本部が立ち上がらない、あるいは、立ち上がったとしても代理や代理の代理など代理だらけの、かなりいびつな形の組織とならざるを得なかっただろう。休日や夜間ならまだしも、平日の職務時間中のことである。法の精神としては、3役と課長からなる本部員のほぼ全員が事故があるとは想定していない。たとえ事故があったとしても甚大なものであり、ほぼ町が壊滅状態で、本部設置を周辺や県等に頼らなければならないときと理解できる。だから本部設置の遅れや違反などに対する規定は行われていない。
今回、幸いにして震災など事故は起きなかったが、もし、起こっていたとすれば他市町では災害対策本部を立ち上げ、情報収集・対策、警察・消防など関係機関との連絡業務、支援物資など防災協定団体との連絡、県や自衛隊、などへの支援要請など、住民への積極的な対応が行なわれているのに、宮代町だけは、おいてけぼりーという状況も想定されたわけである。
こうした災害対策本部の立ち上げに齟齬が発生するかもしれないというのに、町長以下三役は「問題はなかったと思っている。課長会から招待されたから参加した」と、まるで他人事。課長も「個人情報」を盾に詳細を明らかにせず、改善を行っていこうとの気配さえも見せない。
防災対策本部の立ち上げに齟齬が起こることも想定されるにもかかわらず、課長の休暇にOKをだしたということは、宮代町はどうなってもいい、町民の命、安心・安全より課長等の個人的事情・楽しみを優先させたということにならないだろうか。「私」が「公」に優先する公務員、奇妙な現象。法に違反している云々以前の問題ではないだろうか。
3.11から2年。あの教訓を活かしてまちづくりを進めるべき時なのに、早くも3.11を風化させてしまったかのような宮代町と言われても仕方がないだろう。
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